NSABBの設立

一方、その平和的な応用研究の成果は、一歩間違えれば軍事目的での使用も可能となることが問題視されています。つまり民生研究と軍事研究の境界が極めて曖昧であるという問題を内在しているのです。さらに日本で人獣共通感染症の基礎研究を行うに当たり、もし研究費が米軍など軍関係から支給された場合の対処法も悩ましい問題を孕んでいます。研究資金の出どころを問題とせず、民生研究なら受給しても構わないと考えることができるかです。はたして、その決定を研究者個人に任せて良いのでしょうか?アメリカでは炭疽菌によるバイオテロ事件をきっかけとして、バイオテクノロジーを用いた病原微生物を用いた研究が、簡単に生物兵器の開発研究に転用されるとの危惧が高まりました。

そこで、具体的な方策について助言や指導を行うバイオセキュリテーに関する国家科学諮問委員会(NSABB)が設立されました。2009年に日本の獣医師で著名なウイルス学者が、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)ウイルスを哺乳類どうしで感染させるような変異を誘導する実験を含む研究論文を著名な科学誌であるNatureに投稿しました。これに対しNSABBは実験方法が詳しく書かれているので、このまま公表されるとバイオテロに応用されかねないので削除するように要請したのです。このニュースはテレビでも大々的に報道されたのでご承知の方も多いと思われます。本論文はバイオテロへの利用の懸念よりも、ワクチンや治療薬の開発に資することが大きいことから、実験方法を書き直してNSABBの再審査を通過して無事に公表されました。このような研究成果の「デュアルユース」の問題は、日本学術会議でも長年にわたって議論しているところです。この問題を研究者個人に押し付けるのではなく、日本でも研究開発の進め方やその結果がもたらす社会的な影響を常に監視する独立した研究評価制度や機関が必要に思われます。


1)Takahashi H, Keim P, Kaufmann AF, et al: Bacillus anthracis bioterrorism incident, Kameido, Tokyo, 1993. Emerging Infectious Diseases 10(1), 2004.
DOI: 10.3201/eid1001.030238
Bacillus anthracis Bioterrorism Incident, Kameido, Tokyo, 1993 - Volume 10, Number 1—January 2004 - Emerging Infectious Diseases journal - CDC
2)小崎俊二,幸田幸子,梅田薫:ボツリヌス症.日獣会誌67:275-282, 2014.


田村 豊 Yutaka Tamura

酪農学園大学名誉教授

1974年 酪農学園大学酪農学部獣医学科卒業
1974年 農林水産省動物医薬品検査所入所
1999年 動物分野の薬剤耐性モニタリング体制(JVARM)の設立
2000年 検査第二部長
2004年 酪農学園大学獣医学部獣医公衆衛生学教室教授
2020年 定年退職(名誉教授)

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