昆虫での性決定と共生細菌

昆虫での性決定は染色体の異常で起こることがありますが、昆虫体内の共生細菌が宿主の生殖を操っている場合のあることが知られています。その一例として、ショウジョバエの共生細菌であるスピロプラズマが引き起こす現象です(図1) ¹⁾。


スピロプラズマは、モリテクス網に属するグラム陽性細菌で、明確な細胞壁を持たず、運動性があり、らせん型の細菌です。特定のショウジョバエの母親が生んだ卵からかえった子が全てメスという現象がまれに観察されます。スピロプラズマがショウジョバエの体内に共生し、卵を通して母親から子に感染します。感染メスの産んだ卵のうち、オスになる卵のみが孵化することなく死んでしまうのです。この現象は、「オス殺し」と呼ばれています。

ではなぜスピロプラズマはオスだけを殺すのでしょうか? この現象のメカニズムは産業技術研究所の研究者が明らかにしています ¹⁾ 。小学校の理科で習ったようにショウジョバエのオスはX染色体とY染色体を持ち(XY)、メスはX染色体しか持っていません(XX)。オスのX染色体はX染色体のみを持つメスの半数しかありませんが、遺伝子発現量を倍にするたんぱく質‐RNA複合体がX染色体の全域に結合しています。スピロプラズマはこのたんぱく質‐RNA複合体が結合したX染色体に損傷を与えることにより、特異的にオスの胚発生の過程で細胞死を誘導し、オス卵が全て死亡するのです。また、最近、「オス殺し」がスピロプラズマのゲノム解析から、オスを完全に殺す系統との比較により、ある遺伝子の欠失が認められました。この遺伝子は1065アミノ酸残基のたんぱく質をコードしており、このスピロプラズマの新規タンパク質をSpaidと名づけられました²⁾。したがって、SpaidはオスのX染色体に特異的に作用し、オスを殺すことになります。


「オス殺し」の意義は、スピロプラズマにとって不要のオスを殺すことで、感染メスに餌がいきわたり、生存上有利になるためと考えられます。この仕組みだけを考えると、いずれショウジョバエのオスはいなくなり絶滅してしまいます。しかし、自然はそのことを望まなかったことを示すデータが公表されています³⁾ 。

別の昆虫になりますが、クサカゲロウも同様にスピロプラズマに感染し、オスを殺すことが知られています。2011年に採集したメスのうち74%もの個体がスピロプラズマに感染し、野外集団の性比が極端にメスに偏っていました(オスの比率が11%)。次に2016年に同じ場所で再調査したところ、クサカゲロウはスピロプラズマに高い感染率(64%)で感染していることが分かりました。しかし、スピロプラズマ感染の有無に関わらず、全てのメスがオスの子を産出したのです。

つまり、スピラプラズマはクサカゲロウに対して「オス殺し」を引き起こせなくなっていたのです。このスピラプラズマ感染メスに、2011年に採集し飼育を続けてきたオスを交配したところ、1~2世代の交配で「オス殺し」が生じるようになりました。このことは、スピラプラズマは「オス殺し」の能力を持ち続けているにもかかわらず、2016年のクサカゲロウには「オス殺し」の能力を発揮できないことが分かりました。つまり、2016年のクサカゲロウには「オス殺し」に対する遺伝的抵抗性が備わっていることを示しています。事実、2011年には11%しかいなかったオスが、2016年には38%まで回復していました。

以上のことから、昆虫に共生するスピロプラズマが産生する毒素によりオスのX染色体に特異的な損傷を起こすことで「オス殺し」を積極的に推進するものの、昆虫は短期間に遺伝的抵抗性を獲得し、生態系の維持を推し進めることが明らかにされました。したがって、生物は潜在的に生命を維持するための能力を保持していることのようです。