牛乳や母乳に含まれるラクトフェリンというタンパク質が、放射線を用いたがん治療において、副作用を減らしつつ治療効果を高める可能性を明らかにしました。ラクトフェリンを応用した、がん治療の補助剤開発が期待されます。

ニュース概要
概要
国立大学法人広島大学原爆放射線医科学研究所の谷本圭司准教授、村上大徳大学院生、京道人助教および廣橋伸之教授、大学院医系科学研究科の小野重弘講師、相川友直教授、宮内睦美元教授、愛媛大学の深澤賢宏助教らの研究グループは、母乳などに含まれるタンパク質であるラクトフェリンが、がんの放射線治療に与える影響を実験的に検証し、放射線とラクトフェリンを最適なタイミングで併用することにより、がん細胞への殺細胞効果を高めつつ正常な細胞への障害を軽減することができる可能性を見出しました(図1)。
ラクトフェリン(LF)は、牛乳や母乳などの分泌液に含まれるタンパク質で、体内の鉄分を調整する働きを持っています。また、酸化ストレス(体内で有害な酸素分子が過剰になること)に影響を与えることにより抗炎症作用や免疫システムの調整を行う可能性が示唆されていました。本研究では、ラクトフェリンががん治療の一つである放射線治療にどのような影響を与えるのかを検証しました。放射線治療はがん細胞を殺す効果をもつ一方で、周辺の正常な細胞にもダメージを与える可能性があり、副作用として問題となります。本研究では、興味深いことに、ラクトフェリンが細胞死や酸化ストレスに関わる信号をコントロールすることにより、正常な細胞に対しては放射線によるダメージを軽減し、がん細胞に対しては放射線による治療効果を強めるという、細胞ごとに異なる作用を持つことがわかりました(図1)。この結果は、ラクトフェリンが、がん放射線治療の副作用を減らしつつ治療効果を高める新しいがん治療法の補助剤として利用できる可能性を示しています。
本研究成果は、2025年1月24日にMDPI社の科学誌「Antioxidants」に掲載されました。なお、本研究は広島大学から論文掲載料の助成を受けています。
発表論文
著者名
Daitoku Murakami、Takahiro Fukazawa、Michihito Kyo、Mutsumi Miyauchi、Shigehiro Ono、Tomonao Aikawa、Nobuyuki Hirohashi、Keiji Tanimoto* *責任著者
論文タイトル
Lactoferrin Modulates Radiation Response Under Hypoxic Conditions、 Possibly Through the Regulation of ROS Production in a Cell Type-Specific Manner
掲載雑誌
Antioxidants(Q1)
DOI:
https://doi.org/10.3390/antiox14010001
背景
現在、がん治療は、手術などの外科療法、抗がん剤などによる化学療法、放射線療法および免疫療法などの単独または組み合わせにより、治療成績が向上しています。しかしながら、皮膚や粘膜のむくみや表皮の剥離、潰瘍形成、脱毛、乾燥症、味覚障害などの厳しい副作用により治療が継続できない症例など、克服しなければならない課題も多く残されています。
放射線治療は、がん細胞に放射線を照射してがん細胞を破壊する治療法ですが、その効果はがん細胞の置かれた環境に大きく影響されます。多くのがん病巣においてがん細胞は増殖が速いために栄養や酸素を届けるための新しい血管を伸ばす(血管新生)スピードが間に合わず酸素が不足している「低酸素環境」(※1)になっていることが知られています。この低酸素環境では、放射線が細胞を破壊するために必要な活性酸素種(ROS)(※2)が十分に作られないため、がん細胞へのダメージが減少し生き残りやすくなります。このため、低酸素環境は放射線治療において治療効果を下げる主要な原因とされており、そのような環境にあるがん細胞を効果的に破壊する治療法の開発が望まれています。
ラクトフェリンは体内での鉄の輸送や貯蔵を助けるほか、細菌の成長を抑えたり、免疫システムを調節する働きがあると言われています。また、体内での酸化ストレスを抑える「抗酸化作用」を介して健康維持に役立つことが期待されています。最近の研究では、ラクトフェリンががん細胞にも影響を与える可能性が示唆されていますが、その具体的な仕組みや放射線治療との関係については未解明の部分が多く残っています。
研究成果の内容
本研究では、健康な口唇の正常細胞(KD細胞)と口腔がん細胞(HSC2細胞)を用いてラクトフェリンの効果を調べました。まず、大容量のラクトフェリンを投与すると、がん細胞の増殖を抑制することができましたが、正常細胞も強くダメージを受けました。また、これまで知られていた通り、酸素が少ない低酸素環境で培養しているがん細胞に放射線を照射すると、酸素が十分にある環境のがん細胞に比べて、放射線の効果が弱まる、即ちがん細胞が生き残りやすくなることが確認されました(図2)。このような低酸素環境で細胞に影響の出ない量のラクトフェリンを投与すると、正常細胞ではラクトフェリンが放射線のダメージを軽減する一方で、がん細胞では放射線による治療効果を高めることが分かりました。この作用は、放射線被曝後の3時間以内にラクトフェリンを使った場合に特に強く見られました(図2)。
放射線治療では、放射線が直接DNAを破壊する直接効果と、細胞内に活性酸素種(ROS)を発生させて、これがDNAを傷つけることで細胞死が起こる間接効果があります。本研究で調べた結果、ラクトフェリンは、正常細胞ではROSの量を減らし、DNAの損傷を防ぎました(図3)。一方で、がん細胞では逆にROSの量を増加させ、放射線によるDNAの損傷を増やしました(図3)。このように、ラクトフェリンは正常細胞とがん細胞で異なる働きをしていることが確認されました。また、RNA-seq解析(※3)という、網羅的に遺伝子発現量を調べる実験を行ったところ、ラクトフェリンが正常細胞の細胞死に関わる遺伝子を抑制することにより保護的に働き、がん細胞の抗酸化能やDNA修復能を奪うことにより放射線効果を増強していることが明らかとなりました(図1)。
本研究は、培養細胞を用いてその詳細なメカニズムを明らかにしたことが重要な点ですが、ヒトや動物の身体で実際に検証した結果では無いため、安易にサプリメント等の摂取で効果が出ることを保証するものではありません。
今後の展開
1. メカニズムの解明:
本研究では、ラクトフェリンが正常細胞の細胞死に関わる遺伝子を抑制することにより保護的に働き、がん細胞の抗酸化能やDNA修復能を奪うことにより放射線効果を増強していることが明らかとなりましたが、なぜ低酸素環境で特に効果を発揮したのか?どのようにして細胞死、抗酸化、DNA修復などに関わる遺伝子の発現量を調整しているか?メカニズムを詳細に解明する必要があります。
2. 他のがん腫への適用:
本研究では、口唇の正常細胞や口腔がん細胞を用いてラクトフェリンの効果を検証しましたが、これらの効果が他臓器のがん細胞でも再現されるかを評価することで、ラクトフェリンの治療適用範囲を拡大する可能性があります。
3. 前臨床および臨床試験:
本研究で示されたラクトフェリンの細胞毎の機能(正常細胞の保護とがん細胞への放射線効果増強)は、放射線治療の補助剤としての応用可能性を強く示唆していますが、動物実験や臨床試験を通じて、その安全性と有効性を個体レベルで検証することが求められます。
ラクトフェリンを用いた放射線治療は、がん細胞に対する効果を増強しつつ、正常細胞を保護する画期的なアプローチとして、今後の研究と応用に大きな期待が寄せられます。将来的には、副作用の苦しさが少なく、安全にがん治療を行える手法が開発される可能性があります。
参考資料

図1 研究結果のまとめ
研究結果の概略を図にまとめました。正常細胞(図左)では、放射線による活性酸素種の発生やそれに伴うDNAの傷(DNA損傷)をラクトフェリンが抑制するため、結果として放射線によるダメージが軽減します。一方がん細胞(図右)では、放射線による活性酸素種の発生やそれに伴うDNAの傷(DNA損傷)がラクトフェリンにより増加するために、がん細胞死が増加して、治療効果の増強につながります。

図2 低酸素環境下がん細胞の放射線応答
放射線被曝したがん細胞の生存率を示す。(左)通常酸素環境で培養されたがん細胞は、5Gy、10Gyと放射線量が増すごとに生存率が減少した。一方、低酸素環境下にて培養されたがん細胞も放射線被曝によりその生存率は減少したが、通常酸素環境下に比べて明らかに生存率が高かった(赤い矢印)。(右)低酸素環境で培養された正常細胞は、5Gy、10Gyと放射線量が増すごとに生存率が減少した。一方、放射線照射直後にラクトフェリンを投与された細胞の生存率は、水のみを投与された細胞に比べて生存率が最大15%高かった(赤い矢印)。また、低酸素環境で培養されたがん細胞も、放射線量が増すごとに生存率が減少したが、放射線照射直後にラクトフェリンを投与された細胞の生存率は、水のみを投与された細胞に比べて生存率が最大十数%低かった(赤い矢印)。これらの効果は、放射線照射1時間後、2時間後(図では省略)でも観察されたが、放射線照射前や照射3時間後では観察されなかった。MTT法(※4)にて測定し、未照射(0Gy)に対する相対的な細胞生存率を計算した。

図3 低酸素環境下の細胞において放射線被曝により発生する活性酸素やDNA損傷に与えるラクトフェリンの影響
放射線被曝した細胞内に発生した活性酸素種やDNA損傷を薬剤等により緑色に光らせて、顕微鏡にて観察した。(上段)緑入りに光っている細胞の数を測定して比較したところ、低酸素環境で培養された正常細胞にラクトフェリンだけを投与しても、緑色の細胞数は変化しなかったが、放射線を照射すると緑色に光る(活性酸素種が発生した)細胞数が明らかに増えた(赤い矢印)。放射線を照射した直後にラクトフェリンを投与すると、緑色に光っている細胞数が明らかに減少した(赤い矢印)。一方、同様の実験を低酸素環境で培養されたがん細胞で行った結果、放射線を照射すると緑色に光る(活性酸素種が発生した)細胞数が明らかに増えた(赤い矢印)が、ラクトフェリンを投与するとさらに増えた(赤い矢印)。
(中、下段)同じ傾向の結果がDNA損傷の測定でも観察された。
用語解説
(※1)低酸素環境
酸素濃度が少ない環境のこと。通常の大気中の酸素濃度はおよそ21%ですが、高い山などに登ると高度が増すごとにその酸素濃度は減ります。また、生体内の酸素濃度は平均5-7%程度といわれ、比較的低酸素であると考えられています。多くの固形がん病巣では、がん細胞の増殖速度が速く、作られる血管が間に合わない、または機能不良な血管ができることにより、酸素供給が足りなくなり、低酸素になっている事が知られています。また、この低酸素環境は、がん細胞を、より立ち振る舞いの悪いがん細胞に変化させ、予後を悪くすることも知られています。
(※2)活性酸素種(ROS)
活性酸素種は、酸素分子由来の反応性が高い分子で、スーパーオキシドや過酸化水素などを含みます。適量では細胞機能を調節しますが、過剰になるとDNAやタンパク質を損傷し、老化やがんを引き起こします。低酸素環境ではROS産生が増加し、がん悪性化を促進します。
(※3)RNA-seq解析
DNA上に存在する遺伝子(遺伝情報)は、読み出されてRNAとなり、RNAは翻訳されてタンパク質になって実際に働くが、そのタンパク質の量的な調節にRNA量は重要な役割をはたします。RNAの塩基配列を読み込む方法をRNA-seqと言い、読み込まれたRNA配列量を遺伝子発現量に換算し、一度に大量の遺伝子発現量を測定することができる。
(※4)MTT法
MTT法は、細胞の生存率や増殖を評価するための実験法です。生存している細胞のミトコンドリア内の酵素が、黄色のMTT試薬を不溶性の紫色フォルマザンに還元する反応を利用します。フォルマザンの量は細胞数に比例し、吸光度測定で定量化されます。