狂犬病は狂犬病ウイルスに感染した犬の唾液から、主に咬傷により感染する致死性の高い人獣共通感染症です。ヒトを含め哺乳類すべてが感染し、発症すればほぼ100%死亡すると言われています。毎年、世界中で約5万人の死者を出しており、その多くはアフリカとアジアです。日本では江戸時代に初めて流行して以来、多くの流行が記録されています。しかし、1950年に制定された狂犬病予防法により飼い犬の登録とワクチン接種、そして徹底した野犬の駆除を行ったことにより、日本は世界的にも稀有な狂犬病のない国になりました。この世界的な偉業において、獣医師と良質な国産の狂犬病ワクチンが果たした役割は非常に大きいものでした。

このようにヒトが発症すると回復が極めて困難な感染症ですが、ごくまれに治療により回復する事例も知られています。2018年に14歳のブラジルの少年が狂犬病から生還したとのニュースが報道されました。この治療に使用されたのがミルウォーキー・プロトコル(※1)というものでした。そこで今回はヒトの狂犬病治療における実験的な処置方法で、これまで50名以上に実施され6名が回復したと報告されているミルウォーキー・プロトコルについて紹介したいと思います。

発症から生還までに何が起こっていたか

2004年9月、アメリカの高校生Jeanna Gieaseが教会のミサの最中に飛び込んできたコウモリに咬まれて、疲労感、嘔吐、視野撹乱、精神錯乱、運動失調などの症状を示しました。そこで治療にあたったウィスコンシン小児病院のRodney Willoughby医師は、臨床材料を疾病対策予防センター(CDC)へ送りました。その結果、ウイルスは分離されませんでしたが、血液と髄液で狂犬病ウイルスに対する抗体が検出され、狂犬病と診断されました。狂犬病患者の脳はウイルスが分離されるものの炎症を起こさず脳の細胞を破壊していないこと、さらにICUで数週間生き延びた患者からウイルスが分離されないことを基に、Rodney医師は患者をケタミンで昏睡状態へ誘導し、ウイルスを殺すために抗ウイルス剤(リバビリンとアマンタジン)を投与しました。その後、患者の免疫系が活性化し、抗ウイルス剤と免疫系でウイルスを駆逐しました。約1ヶ月後、ウイルスは検出されず脳障害も低度で、リハビリテーションを受け2005年1月に退院するに至りました。なお、このときに要した治療費は約80万ドル(約8,300万円)といわれています。

このように致死性の高い狂犬病から生還した理由は明確にはされてはいませんが、感染したウイルスの病原性が弱かったため、咬傷部位が脳から離れた部位であったため、Jeannaの免疫系が並はずれて強かったためなどさまざまな可能性が考えられています。しかし、いずれにしても生還したことは事実ですし、ブラジルでの事例でもミルウォーキー・プロトコルの有効性が確認されたものと考えられます。ちなみにJeannaは2011年にカレッジを卒業し、世界初の狂犬病からの生還者としてYouTubeで狂犬病対策の重要性を訴えています(http://www.youtube.com/watch?v=VT7yoyKbYu0)。

今回は狂犬病に感染し発症したにもかかわらず回復した事例を紹介しました。しかし、ミルウォーキー・プロトコルを実施しても回復例は多いものでないことから、従来通り狂犬病の予防対策が最も重要と考えます。日本のように狂犬病のない国は極めてまれであり、海外ではむやみに犬や猫、それに野生動物に接触しないことなど、常に狂犬病予防を念頭に行動することが求められます。

2006年、60代の日本人男性2名がフィリピン滞在中に犬に咬まれたことが原因で帰国後に狂犬病を発症し、2人とも死亡しました(※2)。最初、風邪が治らないとの理由で受診したようですので、犬に咬まれたことによる狂犬病という認識はなかったようです。一方、犬を飼育されている方は、狂犬病予防法を遵守し毎年のワクチン接種を励行する必要があります。