これからの獣医療はどうなっていくのか。
そして、獣医師は今後どのように学んでいくべきか。

インタビューシリーズ「獣医療のミライ」では、
各分野で活躍する新進気鋭のスペシャリストたちに、
研究や臨床から得た経験をもとにした
未来へのビジョンや見解を語っていただきます。

第4回はアジア獣医皮膚科専門医協会 レジデントの島崎洋太郎先生です。

臨床での「なぜ」を追求 深い知識求め、研修医の道へ

―島崎先生が獣医師になりたいと考えはじめたのは、いつ頃だったのでしょうか?
  「何らかの専門職に就きたい」と考え始めたのが、中学生の頃だったと思います。うちの親族はサラリーマンが多いのですが、毎朝、電車に乗って会社に行って、夕方に帰ってきて…という勤め人の生活を将来の自分の姿として考えるには違和感があって。その後、高校1年生のときに理系を選択し進路として考えていた農学部の中で、最も興味をもてたのが獣医学科でした。「犬や猫が好き」というよりも「手に職をつけたい」という気持ちが強かったように思います。
 
農学部を選んだ理由が、子供の頃から自然や動物との暮らしへの憧れが強かったからだと思います。子供の頃はよく、栃木県のかなり田舎にある母の実家に遊びに行っていましたが、母の実家では犬や猫をいつも飼っていました。交通事故で脚を1本失ってしまっていた犬もいましたが、その子を散歩に連れて行くと3本足で器用に走り、当時小学2~3年生だった幼い僕を気遣って歩調を合わせてくれたり、振り返って目で合図をしてくれる。「犬って優しい、頭のいい生き物なんだ」と、すごく感動した記憶があります。そうした動物に対するよいイメージが、母校の酪農学園大学を選んだ背景にあったのかもしれません。


―大学卒業後は一次診療医として 2 年間携わっておられたとか。
 はい。東京都大田区にある中馬動物病院という比較的大きな一次診療の病院で、院長先生をはじめ先輩の先生には本当によくしてもらいました。私は大学の専攻が公衆衛生だったので、動物をほとんど触った経験がない状態からのスタート。犬・猫ではなく菌と向き合う大学生活でしたから(笑)、就職したばかりの頃は本当に何もできなかったです。

 大学6年生の4月ごろ、臨床に進みたいと思うようになったきっかけがありました。ある日の実習で、整形外科の泉澤康晴先生の実習補助を担当することになったんです。僕と同じく臨床系の実習補助を5年間避け続け、「不真面目」と言われていた友人と2人で腹を括ったのですが、これがもう怖くて仕方なかった(笑)。研修医の先生はオペ中ずっと怒られているし、それまでの大学生活で味わったことのない緊迫感がそこにはありました。我々2人は器具をもって立っていただけですが、ずっと手が震えていて、オペが終わったときには汗びっしょり。でも、そんな怖すぎる現場で踏ん張って症例に向き合う先輩の姿を間近でみて、臨床は「緊張感があるやりがいのある仕事」と憧れました。


―卒業後の進路を臨床に変更され、人生が一気に変わりましたね。
 ええ、本当に(笑)。大学6年生の春までは公務員志望だったのに。就職先の中馬動物病院でも最初は戸惑ったものの、先輩方の手厚い指導と、しっかりとした診療マニュアルがつくられてあったので、それを覚えることである程度の動きはできるようにはなりました。そこから一つレベルを上げて、「なぜ、こう対処するのか」、「なぜ、この薬を使うのか」と考えはじめたとき、当時から日々の診療でよく会う皮膚科に焦のか」と考えはじめたとき、当時から日々の診療でよく会う皮膚科に焦点を当て、東京農工大学の研修医募集に申し込むことに決めたんです。ですが、やる気は満々だったのですが、募集の締め切りとタイミングが上手く合わなかったんですよ。

 正直なところ、「公務員志望に切り替えたほうがよいのかな」と、かなり悩んだ時期はありました。でも、新卒の獣医師は大体2~4年目くらいで一度は「辞めようかな」と悩んでしまう瞬間があるものだと思います。私も皆と同じように悩んだわけですが、「やっぱり農工大の皮膚科で勉強したい」という気持ちが強かったので、次に農工大の研修医募集がかかるまで仕事もせず、腰を据えてじっくり学び直すことに決めました。バイトもせず、暇な時間がたっぷりあったので、教科書や雑誌をイチから全部じっくり読み直すこともできました。それらを読み切ったあたり、大学卒業から3年目の冬に研修医の募集がかかったので応募したところ合格し、翌春から農工大で研修医として勤めはじめました。